:自然史 か 自然誌 なのか?
Web実演生物学では、その時々の話題/テーマに合わせ、いろいろなサブタイトルを用いていますが、自然誌探求や自然誌生物学という表現/ニュアンスは私の好みです。その心は「構造や学習マトリクス」という平易な視座視点に基づき「複雑系の読み解き/ロジカルシンキングを共有する」ですが、やはり、誰でも可能な「書き記し誌する綴り方」ってなんとなく開放感?があって良いですよね。 重厚で威厳を感じる歴史のニュアンスと違うことが気に入っている理由かも。
しかし、一般には「自然史」それとも「自然誌」どっちが正しいの?みたいな戸惑いが普通に意識されているようです。ちなみに、英語で言えばどちらも Natural History です。私の場合は、その昔、動物組織学 Animal Histology を担当していた経緯から「自然誌」を用いていますが、日本中にある「自然史博物館」のことを無視するのも失礼かと思うので、ここでは history と histology の類似性からその理由(史と誌の意味)を考えてみようと思っています。但し、History/歴史 とは何?ってことにもなり、少し面倒臭いのですが、その解釈は身勝手なアマチュア論なので、それなりに参笑して頂ければ幸いと思っています。
では、自然史と自然誌(Natural History)の違いですが、歴史 history の語源は、ギリシャ語のhistosであり、histosとは織り込まれた布や繊維(英語では tissue:ティッシュペーパーのティッシュ)のこと。つまり、historyとは織り込まれた複雑な過去の事実を明快に記録として綴られたもの、かな?
なお、動物組織学の histology も同源であり、顕微鏡観察に用いる「組織標本」の組織は tissue であり、体内構造の薄切り状態が「織り込まれた薄い繊維/布」のように見えるため「ティッシュ」という単語が用いられたという経緯です。
つまり、組織学/Histology とは histos に由来し、織り込まれた布のような組織標本に基づき体内構造の見方/考え方/進め方を担当する学術領域と考えています。それで、tissue(histos)/history/histologyの類似性や順列が「史・誌」を見つめるポイントと思っていますが、どうでしょうか。
ところで、自然史の史は「歴史」っぽいですよね。また「史」は司馬遷の「史記」に繋がり、その古さに威厳を示しますが、史の意味は「官職/担当者」ということらしいです。つまり、日本語の「歴史」とは、語弊はありますが「複雑な過去の事実を都合良く取りまとめた人による文書/編年体に基づくもの」というニュアンスかな(でもこのことは仕方のなのいこと)。
なお、日本の科学は、短絡的に言えば、江戸末期/明治初期にその始まりがあり、外国人「お抱え/お雇い教師」がその基礎を作ったものであり、また、戦前の博物生物学は殿様生物学というようなニュアンス/趣味的な要素もあったようです。それで「自然史」とは、庶民のためというより、担当者/史のコレクション的な雰囲気が付随し、例えば、戦後の資金源が乏しい官業受注型の研究(自然史系の学術学会?)は、それでその意向を忖度して「自然史」としているのかなと無謀な推察をしてしまいます(詮索し過ぎと思いますが)。
それで個人的には「自然誌博物館」が妥当かなと思っています。英語の Natural History Musium の意味も歴史ではなく、複雑に綴られた過去/現在の自然を事物の展示に合わせて分かりやすく誌する/しているところ、という意味というのはどうでしょうか。
ともかく、受益者のことを考えると、自然史は「自然史博物館」として必要であり、子供に大人気な恐竜などを思い浮かべる日本語です。歴史は大切なので、それはそれで入場者の気分に寄り添った良い言い回しと思っています。
確かに「描き・見て・考える」にはその原型の展示場が不可欠と思いますが、自然や生き物を扱うところなのに史の雰囲気がつきまとい個人的には何か不自然を感じてしまいます(あるいは、動植物園との住み分けも関係するのかな)。ともかく、自然史とは古生物学に関わる物事や展示に意味意義を強調したいところなのかと感じていしまいますよね。
更に、余談みたいな話ですが、現在の生物学や教科「生物」は、生き物だけの話では済まず、地学や化学などの知識も必要になってます。また、良くないことですが、学習「生物学」は少なからず知識確認式や暗記物のイメージが付随します。つまり、扱う要素の配置やその繋がりが複雑な対象という事です。同様に、それ以上に、動物組織学はそれこそ一般の学習者には暗記物の典型であり、その背景も含めて、その経緯もあり、ここに弁解している次第です。
つまり、複雑な事物対象には文章日本語による書き記し誌した綴り方が必要なの、それで、以上の経緯から言えば、「自然誌生物学:ロジカル シンキング バイオロジー」って表現も悪くないような気がしてます(実験生物学・図説生物学・試験対策生物学との対比かな)。これなら、マクロからミクロまで論理的な筋道で一貫した構成が可能になるのではないでしょうか。
しかし、それではマクロなイメージが強調されるので、今時重要視されるミクロな視点「分子生物学」はどうするのってことにもなりますが、それはそれで、分子博物学にならないようにロジカルに展示/記述/説明できれば、生物学の3大学理領域(環境生態生命科学・細胞生命科学・分子生命科学)から一貫した「自然誌生物学」が成り立つのではと思っています(マクロもミクロも同様に大切に扱えることが生物学習のポイントではないでしょうか)。
以上で終わりですが、身勝手な論述?に戸惑った方も多いと思います(すいません)。正しくは、一般的には、沼田真先生らの論考を扱った「持田 誠:植生情報第7号, p.36-40, 2003年3月:自然史・自然誌と植生学ー・・・、」がある、という指摘を受けています(ありがとうございました)。
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最後に、博物館とは、Art & Science に基づき事物の Nature を表象する身近で大切な場所/学習の場/くつろぎの場/自然を再考する場ですよね(これでは意味不明だよね!)。なので、学芸員のご活躍に大期待します:感謝です。
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付記:科学館・博物館・動物園・水族館・植物園、や・・付属・・園、それから、関連研究所などが沢山あり、同時に、ギフトショップも重要な日本ですが、外国は・・ミュージアムで完結し、また「Fish & Wildlife Service」のような、大雑把ですが、なんでも取り組む概念や姿勢/組織があり良いと思っています。それで例えば、日本の就学者には「自然誌学習フィールドセンター」みたいなところがほしいと思っています。如何でしょうか。
以上で終わりです。